法話050

「念仏申さるべし」

清水町島寺・浄福寺住職 藤井信哲

「本願を信じ念仏を申さば仏になる」「念仏成仏これ真宗」は、親鸞聖人のお言葉です。

「ナマンダブ」と簡略にいいますから、難しい言葉ではありませんが、最近はお寺にお参りになっても、黙って合掌するだけで、念仏申さない人をみかけます。

お説教の前後に、押しよせる海の波音か、夏の夕方のセミしぐれのように、ひとしきりお念仏の合唱の声が、お同行の人たちの間からわき起こるのが、浄土真宗の特徴です。

「われ称(とな)え、われ聞くなれどナモアミダ、つれていくぞの親の呼び声」「み仏を呼ぶわが声はみ仏のわれを呼びますみ声なりけり」の歌があります。

「念仏申さるべし」と蓮如上人が励まされ「時をもいわず、所をもきらわず、念仏申すべし」と申されますが、道でお念仏すると周囲の人がふりむきます。
「日本語じゃないみたいで変だ」と若いお同行がいいました。そうです。日本のご先祖が長い間称えてきましたが、印度の言葉です。

ナモー、アミター、ブハーで「無限の智慧と慈悲の如来さまを信じたよりにします」の意味で、ナモとは信じ帰依(きえ)することです。アミタとは限りなきという意味です。ひかりといのち、きわみなき、阿弥陀ほとけを仰ぎ、ナマンダブといいます。必ず救う。わが名を呼べというみ仏のお誓いがあるからです。

法話050挿絵

御利益は今も後生も

清水町島寺・浄福寺住職 藤井信哲

四十腰、五十肩の年を過ぎて、私も七十の古希となり「眼がかすみ、耳鳴りがしてよだれたれ、腰が曲がって足がふらつく」という古老の歌のときに近づいています。

それに近いお同行が「オラの宗旨は死んでからのことばかり。健康雑誌が大流行の御時世だ。もうちっと今の暮らしにええことや、生きていくのに便利な御利益はないかネ」といいます。

「あるとも。大あり。後生が心配になって、夜眠れないことないかなア。地獄行きの罪つくりの自分が苦になって、眠れないときは、阿弥陀さまを頼りにお念仏するほかにない。心配するな。まかせよ、救うの仏さまのお誓いだから、心配無用で暮らせるわけ。苦抜けという」

「やはり死ぬことかいな」

「後生というやろ。後死じゃないよ。次に生きることだな。往生というやろ、お浄土にいって生まれるわけ」

捨此往彼、蓮華化生のこの世をすてて、あの世に往(ゆ)くの往の字と、蓮の華(はな)の上に生まれるの生の二つの字で、往生といいます。つまり清らかな覚(さとり)の世界に生まれるわけです。

阿弥陀さまのお慈悲を讃(たた)えておつとめしましょう。声をだすことは、内臓の適当な運動で血液循環がよくなり、心が安定するから健康にもよろしい。

御信心を得て往生が定まった人を、正定聚(じゅ)といって、現在の御利益になります。往生成仏は当来(これから)の御利益で、これを現当二益といいます。


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