法話047

こちらへいらっしゃい

清水町島寺・浄福寺住職 藤井信哲

お説教のお座の席へ参けいし、お寺のご本堂が満員で座るところをさがしているとき「どうぞ。こっちへいらっしゃい」と、私に声をかけて席をあけてくださる方がおいでです。そのときホッとしてうれしく思います。にこやかな一人一人のお同行のお顔が、み仏のお慈悲にみちみちているように感じます。
私の席におちつくことができたので、あとはお話を聞くだけです。むろんご法話のあとは世間話がはずみます。

もっともみんな幸せな家庭ばかりでなく、大学受験に失敗した孫の男の子がグレていることとか、働きざかりの息子さんが入院しているとか、悩み多いぐち話もあります。ああ「苦悩の有情をすてずして」のご和讃講の言葉が身にしみます。

「こちらへいらつしゃい」阿弥陀さまのお呼び声は、お浄土参りの私へのお呼びかけであります。

「安楽浄土にいたる人」(ご和讃)に、私もお仲間入りです。定衆(じょうじゅ)の数に入るありがたさよ。お浄土に往生した衆生は「五濁悪世にかえりては」再びこの娑婆(しゃば)に帰りきて「釈迦牟尼仏の如くにて利益(りやく)衆生はきわもなし」と親鸞さまはおうたいになります。

お釈迦さまのごとくに、仏法をお伝えしていくのが、つとめであります。

さァ、お念仏を申して、今日も力強く生きていこうではありませんか。

忘れないとは常に思うこと

清水町島寺・浄福寺住職 藤井信哲

法話047挿絵

いくらお説教を聞いても、頭が悪いから忘れてしまうので、何にもなりません。わしらではいくら聞かせてもろうてもあきませんのやろうと、半分あきらめたようにため息をするお方がおいでですが、心配することはありません。

なるほど大無量寿経の東方偈のなかで「法を聞きよく忘れず、見て敬い得て大いに慶ばばすなわちわが善親友なり」のお言葉があります。「よく忘れず」ということは、お説教をまる覚えするということではありません。

学校時代のことを思いだしてみましょう。試験勉強で丸暗記したことは別ですが、同窓会などで「『よく先生に自分のための勉強だよ』といわれたことが忘れられない」などといいます。

くり返しくり返し先生にいわれたことをわが身に引きあてて、大学を卒業してからも、生涯が学習です。だれのためでもありません自分のためでしたと忘れようとしても忘れられないことでありました。

親から「たべ物の好き嫌いはするなというのに、いくらいうても聞きわけのない子供やな」といわれたことで、なぜ好き嫌いしたらいけないのか、いろいろ聞いたでしょうが、細かいことは忘れています。しかしたべ物の好き嫌いがなくなれば、よく聞きわけたことになります。

蓮如上人の御文章に「八万の法蔵を知るというとも、後世を知らざる人を愚者とす」とお教えになっています。

お経さまを覚えても、後生の一大事を聞きわけなければ無意味です。仏法を尊く思う心を常にもつことが大切なのであります。


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