法話045

耳をだせば聞こえる

清水町島寺・浄福寺住職 藤井信哲

「手っ取り早くご信心をいただくにはどうしたらいいでしょうか」と、会社を定年退職して老人の仲間入りした人のご質問である。自分が信心するなら分かるが、いただくといっても何もみえないのだから、どうにもやっかいな話だということだった。

自動車の運転免許をもらうにしても、自動車学校で、自分の年齢の数ほどの時間が必要だというのに、頭髪が真っ白になって、明日の命も分からない年になって、ホイ、それ一とご信心をいただくつもりである。
老少不定、脳卒中、ガンなどいろいろあって、ボヤボヤしていられんから、手っ取り早く急げ急げというわけである。

そこで世間をみると、信じ難いことばかりである。政治家は政治献金疑惑、みんなでもらえば怖くないとウソばかりいっています。家族でも不倫のテレビドラマを喜んでみており、娘はボーイフレンドと遊び回る。ヒョッとするとヒョッとするかもしれない信じ難い危険があるようです。

親鸞聖人に「よろずのことみなもてそらごとたわごと、まことあることなきに、念仏のみぞまことにておわします」のお言葉があります。
世間は聖人の時代と同じく、信じ難いことが多い。当時の先祖と同じく聖人のお教えを聞くことが大事と思います。

蓮如上人は「いかに不信でも聴聞(ちょうもん)に心を入れれば御信心が得られる」とお言葉があります。

聴聞の「聴」は耳をさしだすことで、お説教のお座に参けいすることで「聞」は仏のみ教えが聞こえてくるということです。

聞き覚え耳タコの人

清水町島寺・浄福寺住職 藤井信哲

法話045挿絵

「仏法は聴聞にきわまる」との蓮如上人のお言葉があります。お説教にはいろいろなお味わいがありますが、つづめていえば「念仏して弥陀に助けられる」との繰り返しです。そこでお説教が始まるや居眠りする人やしばらく聞いてあくびを始める人があります。「もう耳タコやがナ。よう似た話やで」というわけで、聞かなくても大体は分かっているので、あまり聞きたくもないのを、がまんしているから退屈感があくびにでるのでしょう。

中には「この話聞いたことあるで。この次はこうなるのや」ヒソヒソ話で、講師のたとえ話の先をくぐって、周囲の人に耳うちして、迷惑がられます。

また中には、その程度のことなら分かっているがナーと立ち上がって、本堂の板戸をガタつかせて、講師の話も聞こえないくらいに騒音をたてて、退席する人もあります。

緊急ならともかく、仏徳賛嘆のご法談の途中、退席は慎むべきで、これを繰り返すのは騎慢(きょうまん)ではないでしょうか。

妙好人の大和の清九郎は、遊んでいる子供に駄賃を出して、高い所へのぼって大きな声で「清九郎そのままじゃゾ」というてくれと、頼んだという話があります。

「清九郎そのままじゃゾ」の子供の声に、大地に土下座して「このままとは勿体(もったい)のうございます」と一涙をうかべて合掌したという。他の子供たちが面白がって、同じ言葉を口々にいうと「今日は仏さまが多いことじゃ」といった。清九郎はよく分かっていたことを、耳で再三聞いて喜んだ。

蓮如上人は「聴聞はめずらしく、はじめたるようにあるべきなり」と、何度聞いても初ごとのお味わいをお示しになっています。


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