法話027

不平や不満を反省 (み仏の力のままに進もう)

西光寺前住職 吉田俊逸

抱かれていることを忘れる私

私の喜ばさせていただいている親鸞聖人の御和讃の一首を読ませていただき、共に喜びたいと思います。「尽十方の無碍(むげ)光は、無明のやみをてらしつつ、一念歓喜する人を、かならず滅度にいたらしむ」ありがたいことです。

阿弥陀如来様は常に十二の光をはなちて、私を摂取して下さっていられるのです。もったいないことです。如来様のお力はいつでもどこでも、くまなく私を抱いてはなしては下さいません。

法話027挿絵

そのお目当ての私はどうでしょう。真実のすがたを考えず、自分の行っていることに反省せず、すべてが当然、あたりまえであるように思い、仏の法を聞いても、そのことを私のための法であるとは聞こうともしません。

そのために不平、不満の生活です。この私を何としてでも幸せに暮らさせてやりたい、喜べる人生を送らせねばならないと誓われて、何の条件も付けずに常に私に愛と慰すなわち慈悲のお心をもって守って下さるのです。

このお呼び声が私のためであることに気付かさせていただくとき、私のはからいが何の役にもならないことが知らされるのです。その時こそ如来様の本願力におまかせするより外に私の進むべき道はないのです。

この度の即如門主の教書にも「阿弥陀如来の本願力によって信心をめぐまれ、浄土で真のさとりに至るのが浄土真宗であります」とあります。一念歓喜こそ本願力によって信心をめぐまれ、念仏を申す人生を歩ませていただくのであり、私の力ではなくみ仏のお力によるのです。これが他力本願のすべてです。不平、不満の中にこそ私一人がためであり、明るく生きることなのです。

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