法話007

本当に足らないか (生まれてきた時は無一物)

勝林寺住職 佐々木教応

少欲知足

仏教では私たちのことを凡夫(ぽんぶ)と言う。「無明煩悩吾等が身にみちみちて」と言われるように、三毒の煩悩に明けくれする悲しい存在であります。

この三つの煩悩の一つが貧欲(どんよく)であります。生きる者の中で一番欲望の強いのが人間ではないでしょうか。考え方によってはこの人間の欲望が今日の科学の発展と、生活の向上を成し遂げたともいえましょう。

法話007挿絵

しかしまたこの強い欲望が、一面人間自らを不幸に陥れていることも見落としてはなりますまい。欲望が自己の利益に結びつく時、畜生以下の恐るべき社会に変ぽうする。表面の繁栄とは裏はらに、目を覆う痛ましい不幸がくりかえされ、その根底に人間のあくなき欲望が渦を巻いている。

このような現実を通して経典に示された「少欲知足」のお言葉をかみしめてみたいと思います。欲を少なくすることも難しいが、それ以上に難しいことは足ることを知ることではないでしょうか。しょせん人間は満足することを知らない生き者かもしれません。

でも今一度この人生を見直してみると、人間の欲望が満たされる娑婆(しゃば)でないことがわかります。限りある人生に無限を求めることは不可能ではないのか。人間が生まれてきた時は無一物でした。裸でした。そんな私でありながら今なんと多くの物が与えられていることか。

このこと一つに気付いても足らん足らんと不足を言う前に、多くの物の中に包まれているただ今の自分に対して、ありがたいもったいないと満足すべきでありましょう。

求める以前にもっと大切なことは、恵まれていることの幸せを拾い上げて感謝すべきでしょう。足らんと言うは実は物が足らんのでなく、与えられている自分を喜ぶ心が足らんのではないだろうか。

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