法話006

自分で三つの反省 (無明の心の中に仏の光が)

勝林寺住職 佐々木教応

仏教 洗除心垢

私の村の近くに洗心講というお講が結ばれています。このお講の開かれる時は村中の皆さんがお参りをして仏法聴聞の一時を過ごします。

お経の中に「洗除心垢」と説かれていることはだれしもご存知のことと思います。心の垢(あか)の洗濯を忘れるなとのお諭しです。日常生活の中で洗濯しない日はおそらくないでしょう。それが女の方の一日の間のお仕事となると、ほんとうに大変なことで、私のような横着者も頭を下げずにはおれません。

法話006挿絵

と同時にいつもこの作業を見ながら、自分自身の心に問いかけます。おまえの心の洗濯が出来ているかと。洗濯するのは汚れが目に見えるからやるのでしょう。自分の心でありながら心の姿をとらえることは出来ません。体の垢や汚れを落とすために、毎日おふろに入りながら、仏法聴聞のふろに入ることを忘れているのも、この心の姿に気づかないからです。

後にも先にもない貴重なただ今、何をやっているか、何を言っているか、何を考えているか。この三つの反省が出来ているかどうか。仏教では身口意(しんくい)の三業(ごう)を説いて、私たちに今日一日の行動に対して深い内省を求めています。「胸に手を置いてよく考えて見よ」と言いますが、これは人に言うことでなく私自身に言い聞かせる言葉でしょう。

仏法聴聞の座とは、ある意味では自分自身の心への問いかけであり、人間の心の覚(かく)であろうと思います。仏法にあうとは、無明と言われる私のくらい心に仏の光が入り込んで下さること、やみのままが明るさに変わる時、私たちの心の実態がはっきりしてまいりましょう。親鸞聖人の内心の叫びに耳を傾けたいものであります。


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